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2010年02月06日

さらば、松坂屋岡崎店。その5

前回チラッと書いたとおり、大学時代のお中元とお歳暮の時だけ
地下の食品売り場でアルバイトをしていました。

完全個人商店のクレオ(当時はレオ)ゾーンは別として、松坂屋ゾーンには
2つのチーム分けがありました。
『松坂屋直営の売り場+松坂屋のブランドで商売をするお店』チームと
“ドンク”さんのように自社ブランドで勝負できる『名店街ゾーン』チームで
私のバイト先は上段の松坂屋の包装紙を使うチームに位置していまして
そのチームのバイトのリーダーが、私をバイトに誘った男でした。

彼は昔のアニメ『ドラ猫大将』の主役の猫みたいなタイプだったので

今でも彼のことを“大将”と呼んでいるほどです。

そのグループで作った草野球チームの名前は『キャメルズ』でした。

ある年の夏。お中元シーズンのピークが過ぎた辺りに
ウチの“大将”に、係長クラスの人からお声がかかりました。

「お盆前のバイトが(イッキに)いなくなっちゃう前に、地下の食品で
 『ご苦労さん会』をやるで、お前ら何かやってくれんか」

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Posted by 草野球チーム・自営隊“隊長” at 07:44Comments(0)さらば、松坂屋岡崎店

2010年02月04日

さらば、松坂屋岡崎店。その4

12~3歳の私にとって、開店当時の松坂屋岡崎店はまさに
ドリーム・キングダム:夢の王国 でした。

当時のデパートはエレベーターで最上階へ行き、エスカレーターで各階を見ながら1階まで降りて行く・・・って考えだったようで
今では屋内が当たり前のゲームセンターが屋上にありました。
屋上にあるゲーセンレストランこそが、子供には羨望の場所でした。

私は高2の夏休みに、そのレストランで縁あってアルバイトをしました。
男子高生ですから皿洗いですが(女子はフロア)生まれて初めてのアルバイトで
そこの人気メニュー『ハンバーグ・ランチ』がメチャメチャ美味しそうな匂いが
強烈で「バイト終わって給料もらったら、ハンバーグ食べに来ような」って
バイト仲間と誓い合っていた事が一番印象的です。
でも、結局食べには行かなかったんですけどね・・・。

3年後。20歳くらいのときに友人からアルバイトのお誘いを受けました。
同じ松坂屋でしたが、地下の食品売り場でお中元・お歳暮を売ってました。

主力商品は『しいたけ』です。
好き嫌い魔人の私は「キノコ&竹の子」類すべて大嫌いでしたが
「この『どんこしいたけ』って美味しいの?」
「ハイ!すごく肉厚があって、美味しいですよ!」
って言って売ってました。
ウソではありません。私が嫌いなだけですから・・・。(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン


高2の時とは全く別の人の誘いだったんですが、その食品売り場は
たまたま、屋上のレストランと従業員食堂の系列のお店でした。
3年前にお世話になったオバチャンと、また一緒に働く事になりました。

私はここで、生涯の友人と非常に楽しい思い出を作りました。

では、また。(^0^)/~~ バイバイ  


Posted by 草野球チーム・自営隊“隊長” at 07:44Comments(2)さらば、松坂屋岡崎店

2010年02月02日

さらば、松坂屋岡崎店。その3

松坂屋は出来る前に、侵略者 のような言われ方でしたが、出来てからは
まわりの商店街から「寄らば大樹の陰」のような扱いでした。

特にお中元・お歳暮のシーズンは、康生通りが毎日大渋滞になる程でした。

これは、松坂屋の駐車場へ入る車のルートです。
一方通行の関係で、シビコの北側からグルッと回って入るのですが
駐車場のキャパシティが小さいため、駐車場の空き待ちの車の渋滞が
この赤い線の通り・・・いや、もしかしたら1号線も越えてたかもしれません。

それでも松坂屋ブランドは強力でしたし
康生の商店街も正直、松坂屋&ジャスコ の集客力をアテにしていました。

そして松坂屋の北側に立体駐車場を兼ね備えた商業ビル『セルビ』を
まわりにも駐車場を作り、駐車場不足に対応が整い始めた頃
岡崎の中心地は、ジャスコ南店に移ろうとしていました。

そして2001年、豊田そごうの跡地に松坂屋・豊田店がオープン
キャラがかぶって、荷物の少ない豊田店があれば
岡崎店は、いずれ消えてしまうかもしれない・・・
そんな噂も出ていましたから
私たちは覚悟が出来ていたのかもしれません。

38年前に立てられたビルは、イオンに比べて天井も低く
地元商店街のテナントで構成された『クレオ』も撤退を決め
私が小学1年生の頃の風景・・・さら地に戻ります。

現段階では、新・市民会館を建てる案が有力だそうです。

では、また。(^0^)/~~ バイバイ  


Posted by 草野球チーム・自営隊“隊長” at 07:44Comments(4)さらば、松坂屋岡崎店

2010年01月31日

さらば、松坂屋岡崎店。その2

これは『都市伝説』に近い話ですから、信憑性は[?]ですが
岡崎・康生にジャスコ&松坂屋といった大型小売店舗が出来た40年ほど前
岡崎商工会には、“水戸黄門”のようなお爺ちゃんがいて
「ワシの目の黒い内は、岡崎に大型店は作らせん!」
って、おっしゃってたそうです。

かつて路面電車が走っていた 電車通り (旧・国道248号線=現・県道39号線)
東海道(国道1号線)との交差点の北に位置する康生と本町通りの商店街。
「ここに大型店が出来たら、まわりの店はつぶれてしまう」
そんな考え方から出来たのが、地元商店街が作った商業ビルに
松坂屋が半分借りて営業する方式だったみたいです。
ビルの同じフロアの中で『松坂屋』と『レオ(現・クレオ)』とに分かれていて
時には、片方だけがシャッター降ろしてお休みしちゃう時もありました。

そんな感じでしたから、松坂屋もイマイチ本腰では無かったのか?
もしくは『レオ』の方が、スーパーに入ってるテナント的であったのか?
20歳くらいになって、名古屋のデパートを見るまで
スーパーとデパートの違いが、ハッキリと分かりませんでした。

本当は看板をよ~く見ると『松板屋』って書いてあるんじゃないの?
って言ってたりしてました。

それでも、西三河で唯一のデパート(的な存在)として
集客力・影響力は強く、ウチのお店も含めてまわりの小売店が
軒並み松坂屋に合わせて、水曜定休 にしちゃいました・・・。

特にお中元・お歳暮の贈り物は、松坂屋ブランドの包装紙
包んでないと・・・ダメだったみたいです。

では、また。次は火曜日の朝ね。(^0^)/~~ バイバイ  


Posted by 草野球チーム・自営隊“隊長” at 07:44Comments(2)さらば、松坂屋岡崎店

2010年01月30日

さらば、松坂屋岡崎店。その1

明日1月31日(日曜日)で、松坂屋岡崎店が閉店します。

少しの間、私と松坂屋岡崎店との思い出話を書きたいと思います。


元々そこには刑務所があったようです。
私が小学1年生の1学期までは、“リブラ”の場所に小学校が建ってまして
すでに刑務所は移転してて、更地に近い(一部、壁や鉄格子跡が残ってました)
状態でしたから、毎朝そこを斜めに突っ切りながら通っていました。

現在のシビコの西側のビル辺りには、図書館など市の建物が並んでいて
それらが、現在の場所へお引越しするのに合わせて
ジャスコ松坂屋 が康生の街に誕生しました。

自分の住んでる街が近代都市へと生まれ変わるところを目の当たりにし
小学6年か中学1年だった私たちは、大興奮していました。

中でも1番記憶に残っているのが、WINPYというハンバーガーショップです。

それまでTVアニメ『ポパイ』でしか見た事が無かったハンバーガーという
食べ物を初めて口にしました。

中学生になるとオシャレやファッションを気にする友人が増えてきます。
彼らにとって、スーパーマーケットより格上のデパートこそが
大人のファッションの発信源であり、WINPY
その象徴だったような気がします。

ただ、残念なことに・・・私には、100mほどしか離れていない
大型スーパーと、松坂屋というデパートの違いが分かりませんでした。

では、また。(^0^)/~~ バイバイ  


Posted by 草野球チーム・自営隊“隊長” at 07:44Comments(0)さらば、松坂屋岡崎店