さらば、松坂屋岡崎店。その5

草野球チーム・自営隊“隊長”

2010年02月06日 07:44

前回チラッと書いたとおり、大学時代のお中元とお歳暮の時だけ
地下の食品売り場でアルバイトをしていました。

完全個人商店のクレオ(当時はレオ)ゾーンは別として、松坂屋ゾーンには
2つのチーム分けがありました。
『松坂屋直営の売り場+松坂屋のブランドで商売をするお店』チームと
“ドンク”さんのように自社ブランドで勝負できる『名店街ゾーン』チームで
私のバイト先は上段の松坂屋の包装紙を使うチームに位置していまして
そのチームのバイトのリーダーが、私をバイトに誘った男でした。

彼は昔のアニメ『ドラ猫大将』の主役の猫みたいなタイプだったので

今でも彼のことを“大将”と呼んでいるほどです。

そのグループで作った草野球チームの名前は『キャメルズ』でした。

ある年の夏。お中元シーズンのピークが過ぎた辺りに
ウチの“大将”に、係長クラスの人からお声がかかりました。

「お盆前のバイトが(イッキに)いなくなっちゃう前に、地下の食品で
 『ご苦労さん会』をやるで、お前ら何かやってくれんか」

その指令は『ご苦労さん会』の3~4日前でした。
“大将”は「キャメルズのみんなで寸劇をやろう」と言い出しました。
出し物は『笠地蔵』


その夜バイトのまとめ役であった従業員“F”氏の家へみんなで押しかけ
まとめようとしないメンバーの「軽口」を集めて、原作をアレンジ。
劇を見せるのではなく、笑いをとりたいだけなので、台本を持ってやりました。

この寸劇が、ケッコウ評判が良く・・・。翌年には『桃太郎』を・・・


大学を卒業して、みんながバラバラになりながらも
“大将”の結婚式で“劇団キャメルズ”は再結成して『花咲かじじい』を

(私の中ではコレが最高傑作でした)

そして“劇団キャメルズ”最終公演は、私の結婚式の2次会でした。

もう大人数で「綿密なバカをやる」ことはできません。
でも、やっといて良かった・・・ってことは間違いありません。
たぶん松坂屋が私に与えてくれた、1番大きなモノです。

では、また。(^0^)/~~ バイバイ
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